Radio Vaticana


 BCLというカテゴリがずっと(0)のままやな、とお気づきの方がいらっしゃったかも知れません。先日片づけものをしていて見つけた当時のベリカードを、記録の意味も込めて貼り付けようと思ってたんです。

 その第一回目は、記憶にも残っているこちらです。


 番組内容は完全に忘れましたが、信号強度などは良く覚えています。そして何よりも恥ずかしいのがカードの裏面。ま、子供だったということで(^^;


 そして当時のラ製にも載りました。これも先日の家探しで発見、掲載されたら掲載誌がいただけるとのことで、一粒で二度おいしかったようです。

 サイトを拝見したところ、今でも短波での放送をやってるようですね。ただ残念ながら日本語放送はないみたいです。

 あっそうそう、小生こちらの信者であるとかいうことは一切ありません。記憶に残っている海外放送ということで最初に出させていただいたまでのことです。

コメント(10)

ヴァチカンからのお返事がおもしろいですね。
もう叶いませんが、送ったレポートそのものを見てみたいものです。

こりゃまた懐かしい物を…。
ベリカード裏面の「ガックリでしたね」のコメントがウケました。hi

しかし、レシーバーにTS-130だなんて…。そんなもんBCLに使っちゃあきまへん(笑
私の頃と時代が異なりますね。私は'75前後がBCLのピークでした。そう、スカイセンサーやクーガの時代です。hi

私のSWL期間は申請前の8ヶ月間ぐらいやったと思います。受信機は6AC7-6C6-76-12Fの0−V−2。
40m付近のボイスオブアメリカ、ラジオオーストラリア、モスクワの声、BBCなどを聞きましたが受信報告は出したことがおまへん。
澤藤の4kΩヘッドフォンやったから音は酷いもんやったはずですが、記憶は美化されるらしく ええ音でした。(笑)
最初に聞いたアマチュアはJA6AE、相手がJA1AB。これは忘れられまへんな。感激でした。
開局申請も最初の提出書類には この受信機(0−V−2)がちゃんと書いてあったんですわ。
今やったら恥ずかしいて よう出しまへんな。ほんま子供やった。申請受け付けた担当官の人も笑い転げたんちゃうやろか。
私の名誉のために書き加えときますが、落成検査(たった3Wの40mAMだけ)の時には4球スーパーになってました。当時としては大進歩なんでおます。Hi

皆さん早速ありがとうございます。

 岡本さん、コンテストお疲れさまでした。そうなんですよねぇ、コピーを取っておくという発想、子供には全くありませんでした。本人も全く覚えていませんでして、「マッカーってなんや?」はカードを受け取った当時すでに??でした。何かの書き違い・読み違いなんでしょうけど。放送局側にももちろん記録は残ってないでしょうね(^^;

 久保さん、実はタイミングを逸してて書きそびれてたんですが、おめでとうございます! はい、久保さんとはちょうど「半昔」違いのようですね。しかし無線機を使って聞けたのは3.5と7の上の方、それに10MHzの近くぐらいしかなく、ゼネカバ付きの無線機がごっつうらやましかったです。当時はIC-720Aしかなかったですもんね。今となってはゼネカバ受信機能のついてないものを探すのが難しいくらいですが。で、ほなどないしてたかといいますと、スカイセンサーなんてまだまだ雲の上でして、短波帯のついた名もなき(いや、ありましたが)ラジカセで聞いてました。周波数もハッキリ分からず、大きなバックラッシュにも悩まされ…でもこれで聞いたのが一番多かったかな。ずーーーーーっとあとになって940を入手したときは、もうほとんどアマチュアバンドしか聞きませんでした。

 山崎さん、貴重なお話をありがとうございます。いやいや、当時のスーパーといえばかなりのものではなかったかと安易に想像しています。ここで話題に出すのもお恥ずかしいのですが、考えてみましたら小生、受信機(というかラジオ)をまともに作ったことがないんです。もちろんトランジスタでのゲルマラジオ、レフレックスラジオくらいまではキットではないものを作りましたが、あとはそれの電源に5M-K9を使うなんて変なことをしたりしたぐらいでして。

 記憶のにこる受信、小生ならBY1PK/BY8AAが出てきたときぐらいでしょうか。どこかにテープがあったはずですので、いずれまた発掘してみます。

裏側の文面を推理してみると多分『ヨーロッパのマーカー放送局な存在』とでも書かれたんでは?

しかし、『ありませぬ』とは古い言葉使いですね。当世、廃れてしまって意味不明の人もいるのでは?

うーん、ガキの頃の小生にそのような表現は難しそう(^^; SINPO54554とのことですから、混信についてなんか書いたんかなと想像するんですがそれ以上は分かりません。

 「ありませぬ」は、ただ単に「ありません」ではなくて「ありませんよ」という意味が込められていそうですね。もちろん単純に表現が古いだけなんでしょうけれど、小生にはそんな風に感じました。

私も一番最初の短波受信機はAM/FM/SW付ラジカセでした。10MHzくらいまでしか聞けなかったので、主要な放送局が受信できず、当時欲しかったフォークギター購入するために貯めていたお金をクーガNo7に急遽投資したのが、はまり込むきっかけになりました。
その後クーガ2200を最終的に入手しましたが、アマチュア無線始めてからは民放ラジオを気くらいになりました。

それでも'79だったか、スプラトリーかどこかのペディを追っかける際に、外部VFOが無かったので、2200で受信した信号をイヤホンで聞き、TS-520で送信といったスプリットをやりました。信号が強かったのでできた芸当ですが。1S1DXだったかな…。
ベリカードやペナント、苦労して英語放送を聞いて貰ったベリカード。未だ実家にあるはずですが、倉庫の片隅に追いやられていることでしょう。

いやー、スプリットに使えたとは素晴らしいですね! 今手元に当時のあこがれだったFRG-7700があるんですが、これでもまともなアンテナで送受切り替えを連動すればどうにか使えるかというところやと思います…もちろん弱かったり送受が近すぎたりしたら(クリスタルフィルタなんぞありませんので)アウトでしょうね。

 小生の場合いつの間にかムセンの方が面白くなり、BCLはフェードアウトという感じです。しかしベリカードとともにいくつか面白いものもあったはずで、記事にするならそれらも一緒にと思うものですから、まぁなかなかです。一部発掘できてないものもありますので。

いや、なんてことは無いです。
送受信の切替をするでもなく、送信中もRF-2200は受信状態。2200での受信は内蔵のロッドアンテナだったか、LWだったかは忘れましたけど。

それでも壊れませんでした。hi

うーむ、うまくいって(壊れなくて)何よりでした(^^; 小生の場合、当時スプリット運用に遭遇したことはほとんどなかったんですが、もちろん外部VFOなんて持ち合わせていなかったものですから、RITのVRに抵抗を追加して対処したりしておりました。今思い出したんですが、その無線機を売りに出すとき元に戻してなかったような…

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この記事について

このページは、ji3kdhが2007年7月15日(日) 18:24に書いた記事です。

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