今日の現場は兵庫県のとある市役所そのものだったんですが。
お昼休みにふと正面玄関の方に回ってみたら、「緊急支援物資の受け付けはこちら」との張り紙が。そちらへ行ってみると、まだ始まったばかりなのでしょうか、そんなに多くない、しかしいろいろな物資を忙しく仕分ける方々がいらっしゃいました。
いやー、全くのノーマークでしたね! こういうの、市役所でやってるって皆さんご存じなんでしょうか? もっと大々的な広報があってもいいように思いますが…その地の方々には行き渡ってるのかな? (本行の一部分、3/21に取消線追加)
ほなこっちはどやろと思って我が市のページを見てみましたら、特設ページはあるものの、物資を集めるまでにはまだ至ってない市として集めないことに決定したようです。
まぁ実際のところ品物の形で提供できるようなものは我が家にないので、いずれにしても募金・義援金の形(それも細々と)にならざるを得ないのですが。何しろ原資がないのであきません。ドルも株も絶対上がるでと昨日は強く確信してたんですが、思うだけでは実入りはありませんので寄付にもつながりません…ので、余計なことは考えず本業でしっかり稼いでしっかり使うことにします(しつこくてスミマセン)。
私は神戸震災の時、現役で神戸勤務でしたから瓦礫の町を文字通り自分の足で走り回りました。
その時の体験から言わせて頂くと援助物資で必要なのはまず食料(加工不要のもの)、飲料水、体温維持の毛布、粉ミルク(乳幼児対象)。
次の段階では薬品(家庭用救急箱なども)、乾電池、トイレ用品などが要望されます。
ところが一般の方々から寄せられる善意には、このようなものは まずありません。殆どは生産者からの寄贈によるものです。
しかも、寄贈される品物は99%選別されずにダンボール箱に纏めて入っています。ですから
そちらへ行ってみると、まだ始まったばかりなのでしょうか、そんなに多くない、しかしいろいろな物資を忙しく仕分ける方々がいらっしゃいました。
このような光景が出現します。これが大変な作業だということは なかなかお判り頂けないでしょう。
善意の品物には中古品が多く含まれ、現地で使えるかどうかの判断と選別、品物の分類、収納、保管、などが必要です。
サイズが細かく分類されるもの、色物が多い衣料類は支援物資には向きません。
これらにかかる経費はボランティアの方々の協力を頂いても発送費用を含めて自治体の負担になります。
私が自治体の責任者であれば支援物資募集ではなく、躊躇無く義捐金募集に踏み切るでしょう。そして支援物資管理に必要であろう経費を義捐金に当てるでしょう。
和泉市もこのような考え方で望んでおられるかどうかは判りませんが支援物資受け入れ策は費用対効果の観点からは頷けません。
復興に必要な資金はいくらあってもジャマにはなりません。また、どのようにでも形を変えて使うことができます。
費用対効果を考えると我々に出来ることは小さくとも善意の一灯を贈り続け、被災地の一刻も早い回復を祈ることだと私は思います。
なんどもコメント欄を拝借して申し訳ありません。
今日の産経新聞に「救援物資」についての記事がありました。特に注目したのは阪神大震災でのボランティア経験者の方のコメントで、以降は記事の要約です。
阪神大震災の時は全国から届けられた救援物資が役場や体育館に溢れた。仕分けをする手が足りず、そのまま捨てられたものも多かった。物資をためる場所と配る手段が揃わないと、せっかくの物資も無駄になる。
また、直ぐに役立つものをという気持ちで送られたものでも、なまものなど保存が利かないものは意味が無い。衣類も引き取り手が無いと焼却に莫大なお金が掛かり、かえって迷惑に成る。
だからといって救援物資を送ることに意味が無いと言うことではない。現地で不足している水、食料については企業や自治体からの支援物資が届けられている。
また、即席めんや飲料水、衣料品などを製造販売する企業からの支援物資も被災地に向けて配送されている。だが個人が被災地への配送を依頼するのは難しく、受け取る自治体にも受け取る能力が失われているケースも多い。
個人で送る場合は勝手な想像で送らないこと。相手の要望を充分考えることが必要。善意の品物でも修理や整備をしなければならないものは被災地では役に立たない。
物資の支援が難しい現在、個人で出来る最も効果的な支援は募金だ。被害からの復興には莫大な資金が必要になる。息の長い支援が必要だ。
と 結ばれています。ご参考までに。
なお この文は今朝の産経新聞朝刊8面「東日本大震災ーー今、何ができる」から私が勝手に引用、要約したものです。文責は全て私にあります。念のため。
山崎さん、詳しい・具体的なコメントをいただきましてありがとうございます。そうですね、自分でも少し前のエントリで「とにかく募金だ」というようなことを書いておきながら、物資を募っている広報をもう少ししたらどうかというのは全く筋が通っていませんでした(今さらですが、一部に取消線を入れました)。実際にその光景を見た時も「個人では少しの水かおむつ類ぐらいしか…」と感じたのに。
東京都でしたか、放置自転車をとりまとめて送る段取りに入ったという情報もありますが、あれなどはもっと大変でしょうね。ちゃんと動くようにすること、盗難車でないという統一した表示をすることなど、考えただけでも相当手間がかかりそう。(もちろん否定しているわけではありません)
実は今回の震災で、それまでに持っていた・思っていたことが実は違うのだという事柄がいくつかありました。中には今でも、どちらがよいのか、どうすればよいのか決め切れていないものもあります。今ここで詳しく書くわけにはいきませんが、いずれ備忘のためにどこかでまとめておくつもりです。少なくとも、その時点で考えられる・得られる情報の範囲で、自分としてブレないようにしておくべきと思い直しました。