現実逃避


 昨日の夕方からこのようなところへ現実逃避してました。


 ついでにこのようなところにも立ち寄ったり。

 それにしても、家族のためなら学校など休ませても良い…などと思っておったんですが、いざその立場になって本人のことを考えるとなかなか難しいですね。というわけで、息子の通う幼稚園の創立記念日が今日なので、それにスケジュールを合わせました。

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最初の写真で和歌山かなと感じ正解。 子供が小さい15年程まえに奈良からの山越えで和歌山に入り2泊3日でウィークデイに行ってゆっくりできました。 小高い山から海が見えるのはいいですね。

そちらから奈良経由でとなると、相当時間がかかったのではないかと思います。若い頃はそのルートもよく利用しました(ただし出発地は南大阪)が、今ではとてもそんな気力がありません。去年田辺まで高速道路が延びてバイパスに直結しましたので、我が家からゆっくり走っても二時間で到着しました。

 そうですね。老後はこういうところに住みたいなと思うのですが、夢物語に終わりそうなので行けるときに行っておくことにしています(^^;

は〜れたそらぁ そ〜よぐかぜぇ。昔懐かしき「
憧れのハワイ航路」岡晴夫やったかな。Hi Sorry。
確かそっちにアメリカ村があったんやおまへんか?
一瞬 そこを思い出しました。昭和42年ぐらいはそっちの担当でしたから週3日は42号線を走ってたんですわ。

アメリカ村、不勉強でして全く存じませんでした。日の岬そのものは昔何度か行ったんで雰囲気も良く覚えているんですが、今度機会を作って寄り道してみます。

 当時の42号線は、交通量は大したことなかったかもですが、山越えそのものが大変だったのでは?と想像します。ワタクシも原付を含めて何度も通りましたが、高速道路が通じた今では、その高速がよほど渋滞してても42号線を通ることはなくなってしまいました(高速のない田辺から南は、もちろん今でも利用してます)。

検索で調べたら やっぱりありました。この近くに国立病院(結核療養所)があったので月1回は行ってたと思います。Hi
この海岸は引き潮が底へ潜るので引き込まれると浮かび上がれず、溺死するので遊泳禁止だったはず。

[伝統的町並み・家並み] アメリカ村 - 和歌山
アメリカ村

煙樹ヶ浜から日の岬に向かう三尾という集落は1887(明治20)年から始まったカナダ移民の数が3000人にものぼり、通称アメリカ村と呼ばれている。

そういえばあのあたりで泳いでいる人を見かけませんね。いや、水辺で遊んでいる人は見たかも。引き潮が底へ潜る、ダイビングでも習いました(ダウンカレント)けど恐いですねぇ。

 あそこの灯台、久しぶりに行ってみたくなりました。

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このページは、ji3kdhが2009年10月 1日(木) 21:35に書いた記事です。

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